トールマン・TG183 (Toleman TG183) は、ロリー・バーンジョン・ジェントリーが設計したF1マシンである。1982年第15戦イタリアグランプリから1984年第4戦サンマリノグランプリまで投入された。最高成績は4位。

トールマン・TG183 / TG183B
カテゴリー F1
コンストラクター イギリスの旗 トールマン
デザイナー 南アフリカ共和国の旗 ロリー・バーン
先代 トールマン・TG181C
後継 トールマン・TG184
主要諸元
シャシー カーボンファイバー モノコック
サスペンション(前) ダブルウィッシュボーン, コイルスプリング ダンパー
サスペンション(後) ダブルウィッシュボーン, コイルスプリング ダンパー
エンジン ハート 415T L4T, 1.5リッター, 580馬力, 直列4気筒, t/c, ミッドエンジン, 縦置き
トランスミッション ヒューランド FGB, 5速, MT
重量 570kg
燃料 アジップ
タイヤ ピレリ
主要成績
チーム トールマングループ・モータースポーツ
キャンディ・トールマン・モータースポーツ
ドライバー イギリスの旗 デレック・ワーウィック
イタリアの旗 ブルーノ・ジャコメリ
ブラジルの旗 アイルトン・セナ
ベネズエラの旗 ジョニー・チェコット
初戦 イタリアの旗 1982年イタリアグランプリ
出走優勝ポールFラップ
21000
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概要 編集

TG181の後継車として開発され、カーボンファイバーモノコックが採用された。エンジンは引き続きハート直列4気筒ターボエンジンを搭載した。

1982年シーズン 編集

TG183は終盤戦となった第15戦イタリアGPより投入された。前作TG181よりシャシー及びエンジンの信頼性が上昇し、1982年最終戦ラスベガスグランプリではデレック・ワーウィックが予選10番手をマークした(決勝はリタイア)。

1983年シーズン 編集

1983年からレギュレーションが全車フラットボトム規定に変わり、前年型をレギュレーションに合わせたトールマン・TG183Bを投入。フロントノーズは下面が完全なベンチュリーシステムとなっているスポーツカーノーズ構造で、巨大なダウンフォースを発生し、リアはアスペクトレシオの大きなフォワードウィングと通常のリアウィングで構成される「ダブルウィング」を採用し、フラットボトム規定により奪われたダウンフォースを補うコンセプトで設計されていた[1]。ワーウィックは第12戦オランダグランプリから4戦連続入賞、特にブランズ・ハッチで行われた第14戦ヨーロッパGPではワーウィックが5位、ブルーノ・ジャコメリが6位でチーム史上初のダブル入賞を果たすなど、トールマンはTG183Bによりコンストラクターズ9位を記録した。

設計したバーンはこのダブル・リアウィングに自信を持っていたが、このウィングを見たF1関係者は「巨大すぎる」や「空気抵抗が大きすぎるのではないか」といった冷ややかな報道や反応が多かった[2]。バーンはこの時「まわりのライバルたちが私のダブル・ウィングを見て抵抗が大きいと言った時はシメタと思ったよ。過去にやっていたグライダーの経験だけでなく、風洞実験での数値でも絶対的に良い結果が出ていたので自信があったし、結果でも示せた。我々がBMWフェラーリ製のターボより劣っているハート製ターボで時に彼らを上回る実績を残したのは、このマシンに盛り込んだ私の空力コンセプトの方向性が正しかったからだと思うし、特にシーズン中盤戦以降は私のキャリアの中でも充実感を感じられるシーズンだった。」と述べている[2] 。このダブルウィングは後継車のTG184でも継続して装着された。

1984年シーズン 編集

1984年シーズンもTG183Bは開幕戦から第4戦サンマリノグランプリまで投入され、同年にF1デビューしたアイルトン・セナが第2戦南アフリカグランプリ・第3戦ベルギーグランプリで2戦連続6位入賞を果たした。第5戦フランスグランプリ以降から新車・TG184が投入され、役目を終えた。

バーンによるとTG183Bは「装着するピレリタイヤの特性を考慮して作られたピレリ専用のマシンだった。前年の時点で我々は1984年にはミシュランタイヤで戦いたいと思っていたので、TG184はミシュランタイヤ装着を前提に作ったミシュラン専用のマシン。両メイカーのタイヤ特性は全く違っていて、当時はミシュランの方がピレリより明らかに速く走れた。なのでTG184のほうが183Bより速いことはわかっていたが、ピレリと契約を解除してミシュランとの契約が成立するまではTG184をレースで走らせることはできなかった。第何戦でTG184を投入開始できるかはピレリとの契約解除の交渉次第で、それがいつになるのかは私にはわからなかった。」とその交渉に時間が掛かったことを証言している。この経緯により完成していたTG184の実戦投入は先延ばしとなっており、第4戦までTG183Bが使用されることとなった[3]

トールマンにメカニックとして在籍していた津川哲夫によると、TG183Bは前後に付けられた独自のウィングが生み出すダウンフォースが強大なためステアリング操作が非常に重かったが、'83年のドライバーだったワーウィックとジャコメリは腕力が強かったため不満も言わず乗っていたという。しかし1984年に加入した新人アイルトン・セナはそれまでF3に参戦していたこともありまだ線が細く、ステアリングが重いTG183Bを自在に操る腕力が無く体力面で苦労をしていたと述懐している[注釈 1][映像 1]

F1における全成績 編集

(key) (太字ポールポジション

シャシー タイヤ No. ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 ポイント ランキング
1982 TG183 P                                 0 NC
35   ワーウィック Ret Ret
36   ファビ Ret DNQ
1983 TG183B P                               10 9位
35   ワーウィック 8 Ret Ret Ret Ret 7 Ret Ret Ret Ret Ret 4 6 5 4
36   ジャコメリ Ret Ret 13 Ret DNQ 8 9 Ret Ret Ret Ret 13 7 6 Ret
1984 TG183B P                                 16 7位
19   セナ Ret 6 6 DNQ
20   チェコット Ret Ret Ret NC
  • DNQは予選不通過、NCは周回数不足。

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 津川哲夫Youtubeチャンネルにて「F1デビュー年のセナはまだF1を操る体力が無く、セッションごとに疲れ切っていた」と証言している。

映像資料 編集

  1. ^ 【津川哲夫のF1ヒストリー】セナvs津川哲夫 トールマン時代【#28】(8分10秒付近). 津川哲夫のF1グランプリボーイズ. 2 May 2021.

出典 編集

  1. ^ 『AUTOSPORT 2009 5/7&14号』三栄書房、2009年、p.68頁。 
  2. ^ a b インタビュー ロリー・バーン(ベネトン・デザイナー) 人真似が大嫌いな元グライダーチャンピオン グランプリ・エクスプレス '87モナコGP号 30-31頁 1987年6月15日発行
  3. ^ ロリー・バーンが語るトールマンTG184 オートスポーツweb 2018年6月14日