サニーデパート
サニーデパートは、かつて北海道帯広市に存在していた百貨店である。1990年代に事実上、飲食店ビルへ業態変更し、後に建物名称もビルを所有する(デパートを運営していた)法人の名称である「坂本ビル」に改称している。
平原通り左側(東側)に建つ旧サニーデパート(現「坂本ビル」。側面壁に青色広告看板「駅前留学NOVA」) | |
本社所在地 |
日本 〒080-0012 北海道帯広市西2条南9丁目16 |
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設立 | 1969年(昭和44年)10月30日 |
業種 | 小売業 |
代表者 | 坂本和昭 |
主要株主 | 坂本ビル㈱・坂本商事㈱ |
外部リンク | http://www.sakamoto-bs.com/index.html |
沿革 編集
前史 編集
- 1925年(大正14年) 現在地に前身である坂本勝玉堂(判子屋) 開業。
本史 編集
- 1969年(昭和44年)10月30日 寄合百貨店サニーデパート 開店。
- 1977年(昭和52年) 市内老舗書店が4階にテナント入居。
- 1988年(昭和63年)3月 テナントから撤退・移転。
- 1985年(昭和60年) こどもデパート構想が検討されるも、諸般の事情で断念する。
- 1988年(昭和63年) 商号を「サニービル」に改称。
後史 編集
デパート時代の主なフロア構成 編集
- フロア総面積は、753.51m2(1440.46坪)。
階 | フロア概要 | |
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塔屋2F |
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屋上・塔屋1F |
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7F | 食堂街 | |
6F | ゲームセンター | |
5F | 美容室 | |
4F | 書店、切手ショップ | |
3F | パソコンショップ、ファンシー店、チャレンジショップ | |
2F | ファッション店、スポーツ店 | |
1F | 花屋、ファッション関連店、スポーツ店 | |
地下1F |
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主な入居テナント 編集
かつて入居していたテナント 編集
その他 編集
- かつて、下記箇所にも支店が存在していた。
- DREAMS COME TRUE結成前(インディーズ時代)の吉田美和が北海道帯広柏葉高等学校を卒業する際(1984年3月10日・11日)、サニーデパート6階にあった大ホールで「Good bye High School 吉田美和 TAKE OFF CONCERT」と題した高校卒業記念ライブ・コンサートを催した[4]。
サニーデパートおよび後身商業施設「坂本ビル」を扱った作品 編集
- ネット動画「【むかしの帯広】藤丸さん•••閉店前に行ってきたよ!サニーデパート!今はどうなってる?帯広駅!むかしはホテルにデパートついてたよ!イトーヨーカドー跡地やっと再開発されたよ! - YouTube」(作:ハルチャンネル、2022年10月15日)
- PCフライトシミュレーター・ソフト「Microsoft Flight Simulator X」用シーナリー・フリー提供データ「帯広 建物シーナリー」(作:ひぐま) - 同シーナリーソフト内に「坂本ビル」建物が登場している。Gmax_World HPトップ、ダウンロード・コーナー(「obihiro_tatemono.zip」)
脚注 編集
関連項目 編集
- 寄合百貨店
- 旧藤丸、旧ハトヤ百貨店(地上3階地下1階[1]。前身商業施設:満蒙マーケット(満蒙第1相互会館)、後身商業施設:ハトヤサウナ)、旧ほくそうデパート帯広店、旧有沢デパート(有沢衣料店)
- 旧ポポロ(長崎屋帯広店(初代)建物)、旧金市館帯広店、イトーヨーカドー帯広店(初代)
- 夢の王国サンタ愛ランド構想(サニーデパートも支援)、津川雅彦、大理石村ロックハート城
外部リンク 編集
- 坂本ビル 公式HP - Internet ARChive 保管版
- 十勝毎日新聞 公式HP
- 坂本ビル売却検討、テナント誘致は継続 コロナが影響(2022年1月24日)
- まちなかに小劇場 坂本ビル社長が構想(2019年1月29日)
- 国内初の常設博物館「マジック・ミュージアム」プレオープン(2015年12月4日)
- 20年前と今の帯広中心部
- “マジックの図書室”5千冊公開します 37年間、書籍収集の坂本さん(2007年4月12日) - Internet ARChive 保管版
- 昭和の記憶06 サニーデパート(高原淳写真的業務日誌 Atsushi Takahara BLOG) - 雑誌「月刊しゅん」「northern style スロウ」出版社「(株)クナウパブリッシング」社長ブログ
- サニーデパート(帯広市ドットコム) - 坂本ビルの買収希望価格および建物解体費用の予測が掲載されている。
- 北の屋台 公式HP(サニーデパート創業者も設立発起人の主力メンバー)