グレッグ・ランドリー
グレッグ・ランドリー(Gregory Paul Landry 1946年12月18日- )はニューハンプシャー州ナシュア出身の元アメリカンフットボール選手。1968年から1981年及び1984年にNFLのデトロイト・ライオンズ、ボルチモア・コルツ、シカゴ・ベアーズでプレーした。ポジションはクォーターバック。
Greg Landry | |||||||||||||||
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基本情報 | |||||||||||||||
ポジション | クォーターバック | ||||||||||||||
生年月日 | 1946年12月18日(77歳) | ||||||||||||||
出身地 |
アメリカ合衆国 ニューハンプシャー州ナシュア | ||||||||||||||
身長: | 6' 4" =約193cm | ||||||||||||||
体重: | 210 lb =約95.3kg | ||||||||||||||
経歴 | |||||||||||||||
大学 | マサチューセッツ大学 | ||||||||||||||
AFL/NFL ドラフト | 1968年 / 1巡目全体11位 | ||||||||||||||
初出場年 | 1968年 | ||||||||||||||
初出場チーム | デトロイト・ライオンズ | ||||||||||||||
所属歴 | |||||||||||||||
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受賞歴・記録 | |||||||||||||||
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NFL 通算成績 | |||||||||||||||
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Player stats at PFR |
マサチューセッツ大学時代には2度オールヤンキー・カンファレンスに選出された。1968年のNFLドラフトでQBとしてはその年最初となる1巡全体11番目でデトロイト・ライオンズに指名されて入団した。
1971年にはパス獲得2,237ヤード、16タッチダウンパスをあげてプロボウルに選出された。1976年にはパス獲得2,191ヤード、17タッチダウンパスをあげてカムバック賞に選ばれた。
ライオンズのパス記録を2つ作った後、1979年にボルチモア・コルツへ移籍してシーズン絶望の怪我を負ったバート・ジョーンズの代わりに先発QBを務め自己ベストの2,932ヤード、15タッチダウンパスをあげたがチームは5勝11敗に終わった。コルツで3年間プレーした後、1983年、1984年とジョージ・アレンのもとでUSFLのシカゴ・ブリッツ、アリゾナ・ラングラーズでプレーした後、1984年に1試合だけシカゴ・ベアーズで出場し現役を引退した。
彼はパスだけでなくラッシャーとしても知られ通算成績は2,600ヤードを超えて21タッチダウンをあげている。その間1971年、1972年には500ヤード以上を走り、1972年にはランで9タッチダウン、1970年にはラン1回あたりの平均で10ヤード以上の数字を残した[1]。
1985年にクリーブランド・ブラウンズでQBアシスタントコーチを務めた後、1986年にシカゴ・ベアーズのマイク・ディトカヘッドコーチのもとでアシスタントコーチを務めて第20回スーパーボウル優勝を味わった。ベアーズでワイドレシーバー、タイトエンドコーチを務めた後、1988年から1992年までオフェンスコーディネーターを務めた。
その後イリノイ大学のオフェンスコーディネーターとなり、1994年には同大学がビッグ・テン・カンファレンス内でパス攻撃2位となる原動力になりチームはリバティボウルでイーストカロライナ大学を30-0で破った。同大学がボウルゲームに出場するのは16年ぶりのことであった。
1995年にデトロイト・ライオンズのQBコーチとなりスコット・ミッチェルの指導を行った。1996年シーズン終了後コーチを引退してローカルラジオ局で解説者を務めた。
現在、彼はライオンズ歴代3位のパス獲得12,451ヤード、ライオンズ歴代2位の80タッチダウンパスをあげている。
脚注 編集
外部リンク 編集
- Detroit Lions profile (英語)
- 通算成績と情報 NFL.com, or Pro-Football-Reference (英語)
- グレッグ・ランドリー - IMDb(英語)
先代 デイブ・ハンプトン |
NFLカムバック賞 1976年 |
次代 クレイグ・モートン |
先代 エド・ヒューズ |
シカゴ・ベアーズ オフェンスコーディネーター 1988年-1992年 |
次代 ロン・ターナー |