イングリッド・クリスチャンセン

イングリッド・クリスチャンセン (Ingrid Kristiansen、1956年3月21日 - )は、ノルウェートロンハイム出身の元女子陸上競技長距離走マラソン)選手である。

イングリッド・クリスチャンセン Portal:陸上競技
選手情報
フルネーム イングリッド・クリスチャンセン
ラテン文字 Ingrid Kristiansen
国籍  ノルウェー
競技 陸上競技
種目 中距離走長距離走マラソン
生年月日 (1956-03-21) 1956年3月21日(68歳)
生誕地 ノルウェー トロンハイム
身長 169cm
体重 50kg
自己ベスト
800m 2分09秒7(1981年)
1500m 4分16秒64(1987年)
3000m 8分34秒10(1986年)
5000m 14分37秒33(1986年)
10000m 30分13秒74(1986年)
ハーフマラソン 1時間06分40秒(1987年)
マラソン 2時間21分06秒(1985年)[1]
獲得メダル
陸上競技
世界陸上競技選手権大会
1987 ローマ 女子 10000m
ヨーロッパ陸上競技選手権大会
1982 アテネ 女子 マラソン
1986 シュトゥットガルト 女子 10000m
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経歴 編集

トラック種目で5回の世界記録更新と、マラソンでも世界最高記録の達成を樹立。同国のグレテ・ワイツらと並んで、1980年代を代表する名ランナーであった。

元はクロスカントリースキーの選手として有名であり、1974年のヨーロッパジュニア選手権のチャンピオンである。1980年代に入ってからは、本格的に陸上競技の長距離種目に取り組み始める。結婚・出産を経験していたが第一線で競技を続け、「ママさんランナー」とよく紹介された。1982年の第1回大阪女子マラソン(現・大阪国際女子マラソン)にも出場、6位に入っている。

1984年ロンドンマラソンに2時間24分26秒の好記録で優勝し、同年夏のロサンゼルスオリンピックのメダル候補として注目を浴びる。そのオリンピック本番では、優勝したジョーン・ベノイトアメリカ合衆国)が早くから抜け出した後、ワイツ、ロザ・モタポルトガル)と2位集団を形成してメダル争いを演じたが、モタとの3位争いに惜しくも敗れ、2時間27分34秒のタイムで4位入賞に留まった。彼女の落胆は大きかったが、宿舎に戻った後幼かったわが子の姿を見たときに「再び走る意欲が生まれた」と述懐している。

これを契機にクリスチャンセンはさらに力を付け、翌年のロンドンマラソンでは2時間21分06秒の世界最高記録を樹立する。この記録はその後1998年、ロッテルダムマラソンでテグラ・ロルーペケニア)が2時間20分47秒の世界最高記録を樹立するまで、13年間破られることはなかった。1986年にはトラックの5000mで14分37秒33、10000mでも30分13秒74の世界記録を樹立し、長距離3種目の記録を独占した。長距離3種目の記録独占は、1993年に10000mで王軍霞中国)が29分31秒78の世界記録を出すまで、7年間破られることはなかった。、また、5000mもフェルナンダ・リベイロ(ポルトガル)が1995年に14分36秒45の世界記録を出すまで、9年間世界記録を保持していた。

1987年にローマで開催された世界陸上競技選手権では10,000mで優勝。しかし、優勝候補と目された1988年ソウルオリンピックの10,000mは、予選レースでは31分44秒69のトップ記録で通過したが、決勝レースでは直前に痛めた足の怪我が悪化して途中棄権に終わり、オリンピックではついにメダルを獲得することはできなかった。

35歳となった1992年には、大阪国際女子マラソンへ10年ぶりとなる日本の女子マラソン大会に出場。序盤からハイペースで独走するもその後ペースが落ち、中間点過ぎで2位以下に下がるとズルズル後退していき、結局途中棄権に終わる。その後彼女は公式レースに参加していないので、結果的にこの大阪が現役引退レースとなった。

自己ベスト 編集

出典:[1]

種目 タイム 日時
800m 2分09秒7 1981年7月5日
1500m 4分16秒64 1987年9月19日
3000m 8分34秒10 1986年8月13日
5000m 14分37秒33 1986年8月5日
10000m 30分13秒74 1986年7月5日
ハーフマラソン 1時間06分40秒 1987年4月5日
マラソン 2時間21分06秒 1985年4月21日

脚注 編集

外部リンク 編集

先代
  ジョーン・ベノイト
女子マラソン世界記録保持者
1985/04/21 - 1998/04/19
次代
  テグラ・ロルーペ