アンナ・マリーア・ルイーザ・デ・メディチ

アンナ・マリーア・ルイーザ・デ・メディチAnna Maria Luisa de'Medici, 1667年8月11日 - 1743年2月18日)は、ピッティ宮殿で暮らした最後のメディチ家直系の人物。

アンナ・マリーア・ルイーザ・
デ・メディチ
Anna Maria Luisa de'Medici
プファルツ選帝侯妃
在位 1691年 - 1716年

出生 (1667-08-11) 1667年8月11日
トスカーナ大公国フィレンツェピッティ宮殿
死去 (1743-02-18) 1743年2月18日(75歳没)
トスカーナ大公国フィレンツェピッティ宮殿
埋葬 トスカーナ大公国フィレンツェサン・ロレンツォ聖堂
配偶者 プファルツ選帝侯ヨハン・ヴィルヘルム
家名 メディチ家
父親 トスカーナ大公コジモ3世
母親 マルゲリータ・ルイーザ・ディ・ボルボーネ=オルレアンス
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生涯

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トスカーナ大公コジモ3世マルゲリータ・ルイーザオルレアン公ガストンの娘)の娘としてフィレンツェに生まれた。トスカーナ大公子フェルディナンドは兄、最後のメディチ家のトスカーナ大公ジャン・ガストーネは弟である。父コジモ3世は男児が生まれないことを憂慮して、アンナ・マリーアをジャン・ガストーネの次期大公とすべく奔走したが、叶わなかった。

1691年プファルツ選帝侯ヨハン・ヴィルヘルムと結婚。子供のないまま1716年に夫と死別した。フィレンツェに戻ったアンナ・マリーアはピッティ宮殿に暮らした。厳格で超然とした人物だったと伝えられており、ミサや慈善活動に私財を投じ、サン・ロレンツォの一族の霊廟を訪れていたという。

1743年に死去。アンナ・マリーアは遺言として「メディチ家のコレクションがフィレンツェにとどまり、一般に公開されること」を条件に、すべての美術品をトスカーナ政府に寄贈した。これによりメディチ家の財産は、フィレンツェの遺産として現代まで遺されることとなった。