アルバロ・コロン

グァテマラの政治家 (1951-2023)。同国大統領 (2008-2012)

アルバロ・コロン・カバジェロスÁlvaro Colom Caballeros1951年6月15日 - 2023年1月23日)は、グアテマラ政治家。2008年から2012年までグアテマラの大統領をつとめた。

アルバロ・コロン
Álvaro Colom

公式の肖像

任期 2008年1月14日2012年1月14日
副大統領 ラファエル・エスパーダ英語版

出生 1951年6月15日
グアテマラグアテマラシティ
死去 (2023-01-23) 2023年1月23日(72歳没)
グアテマラの旗 グアテマラグアテマラシティ
政党 国民希望党英語版
出身校 サン・カルロス・デ・グアテマラ大学
配偶者 サンドラ・トーレス英語版
署名

1954年のCIA主導のクーデターPBSUCCESS作戦)でグアテマラ革命が潰されて以降、半世紀ぶりの左派の大統領だった[1]

経歴

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アルバロ・コロンの叔父のマヌエル・コロン・アルゲタ (Manuel Colom Arguetaは有名な左派の政治家で、1970-1974年に首都グアテマラシティの市長をつとめたが、1979年に軍部によって暗殺された[2][1]

コロンはグアテマラシティで生まれ、サンカルロス大学工学部で産業工学を学んだ[2][1]。卒業後は織物工業の実業家として働き、グアテマラ輸出業者協会(Asociacion Guatemalteca de Exportadores, AGEXPORT)の理事をつとめた[1]

1991年に経済省次官に任命された[1]。同年グアテマラ内戦中の被害者を支援するための国家和平基金(FONAPAZ)が設立されると、その初代総裁を1997年までつとめた[2]。任期中にコロンは4万人の亡命者(大部分が先住民のマヤ人)が帰国するための援助を行った。この功績によってコロンはマヤ聖職者としての栄誉が与えられた[1][3]

1999年11月の大統領選挙 (1999 Guatemalan general electionには、かつてのゲリラ組織が政党化したグアテマラ国民革命連合(URNG)から出馬したが3位に終わった[1]

2001年に中道左派の国民希望党(UNE)を新しく組織し、2003年11月の大統領選挙 (2003 Guatemalan general electionにUNEから出馬したが決選投票でオスカル・ベルシェに敗れた。

大統領

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2007年11月の大統領選挙 (2007 Guatemalan general electionでふたたび国民希望党から出馬し、右派の愛国党(PP)から立候補した元将軍のオットー・ペレス・モリーナを破って当選した。グアテマラシティではコロンの人気が低かったが、地方で強く支持された[4]:371-372。コロンは2008年1月14日に大統領に就任した[5]

コロンは就任直後に関係省庁間の調整を担う社会連帯審議会を発足させたが[6]、その会長には大統領夫人であるサンドラ・トーレス英語版が就任し、彼女に巨大な権力を与えることになった[4]:372

コロンは社会民主主義者とされ、貧困問題を改善することが期待されていた[7]。しかし折から世界金融危機が起きて最大の輸出国である米国への輸出が減少、さらに2010年にはパカヤ火山の噴火と熱帯暴風雨アガサ英語版によってグアテマラは大きな損害を被った[8]

2010年10月にコロン大統領は日本を公式訪問した[9]

2009年12月のミルナ・マック財団の報告書によれば、犯罪組織が強大化した一方、治安・司法制度は弱体化し、とくに麻薬密売関係の犯罪が増大した[10]:46-49アルタ・ベラパス県で活動を展開する麻薬組織ロス・セタスを壊滅するため、コロンは2010年12月19日から1か月の戒厳状態を宣言した[11]

夫人のサンドラ・トーレスは2011年11月の大統領選挙 (2011 Guatemalan general electionに出馬しようとしたが、現職の大統領の親戚が大統領候補となることをグアテマラ憲法186条が禁じていたため、コロンと離婚した[12]。しかし憲法裁判所は彼女の立候補を認めなかった[4]:373[13]。選挙では麻薬カルテルなどの組織犯罪との戦いを公約に掲げたペレス・モリーナが当選し、2012年1月14日に次期大統領に就任した[4]:373

ローゼンバーグ事件

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2009年5月10日、ロドリーゴ・ローゼンバーグ (Rodrigo Rosenberg Marzanoという弁護士がグアテマラシティで射殺された。ところが死の数日前にビデオを残しており、それによれば汚職を告発されることを恐れた政府の手によってコロン大統領夫妻の承認のもとに自分が殺されるだろうと主張していた。ビデオは死の翌日に公開されて一大スキャンダルになった[4]:372[14]

2010年1月、グアテマラ無処罰問題対策国際委員会(CICIG)はこの事件の調査結果を発表したが、それによれば暗殺者はローゼンバーグ本人が雇ったもので、政府を批判するためにビデオを残した後にわざと自分を殺させたというものだった[4]:372-373

逮捕・死去

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グアテマラ無処罰問題対策国際委員会(CICIG)は2018年2月13日、グアテマラシティの市営バスであるトランスウルバーノ (es:Transurbanoプリペイドシステムを導入する際の不正入札事件に関連してコロンおよび元閣僚らを逮捕したと発表した[15]

自宅軟禁中の2023年1月23日、食道がんのため死去[16]。71歳没。

家庭

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コロンの最初の妻であるパトリシア・サラタは1977年に交通事故で死亡した[2]。2番目の妻であるサンドラ・トーレス英語版とは2002年に結婚したが、2011年に離婚した[2]。最初の妻との間とはパトリシアとアントニオの2人の子があるが、アントニオはグアテマラのロックグループであるビエント・エン・コントラ (es:Viento en Contraベーシストである[2]。サンドラとの間にはディエゴという子がある[2]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g Tamar Burris (2015). “Colom, Álvaro”. In Paul R. Bartop; Steven Leonard Jacobs. Modern Genocide: The Definitive Resource and Document Collection. 2. ABC-CLIO. p. 905. ISBN 9781610693639 
  2. ^ a b c d e f g Álvaro Colom, Busca Biografías, https://www.buscabiografias.com/biografia/verDetalle/10941/Alvaro%20Colom 
  3. ^ “Will Guatemala's new leaders be healers?”. NBC News. (2008年1月14日). https://www.nbcnews.com/id/wbna22638656 
  4. ^ a b c d e f Al Argueta (2015). Moon Guatemala (5th ed.). Avalon Travel. ISBN 9781631211317. https://publicism.info/travel/central_america/14.html 
  5. ^ グアテマラ共和国大統領就任式』在グアテマラ日本国大使館https://www.gt.emb-japan.go.jp/transmision_mando_presidencial2008JA.htm 
  6. ^ グアテマラ」『政府開発援助(ODA)国別データブック 2008』外務省https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shiryo/kuni/08_databook/pdfs/06-08.pdf 
  7. ^ “Social Democrat Alvaro Colom elected Guatemala's president”. The Sydney Morning Herald. (2007年11月5日). https://www.smh.com.au/world/social-democrat-alvaro-colom-elected-guatemalas-president-20071105-189l.html 
  8. ^ グアテマラ」『政府開発援助(ODA)国別データブック 2010』外務省https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shiryo/kuni/10_databook/pdfs/06-08.pdf 
  9. ^ 日・グアテマラ首脳会談について』外務省、2010年10月22日https://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/s_kan/guatemala_1010.html 
  10. ^ 嵩原芳之『グァテマラ和平合意後の暴力問題と治安改善―日本のODA動向の変化と新経済協力モデルの考察―』(博士論文)拓殖大学、2014年http://id.nii.ac.jp/1579/00000010/ 
  11. ^ グアテマラ内政・外交 (2010年12月)』在グアテマラ日本国大使館https://www.gt.emb-japan.go.jp/seiji-keizai.pdf/Politica10.12.pdf 
  12. ^ グアテマラ内政・外交 (2011年4月)』在グアテマラ日本国大使館https://www.gt.emb-japan.go.jp/seiji-keizai.pdf/Politica11.04.pdf 
  13. ^ グアテマラ内政・外交 (2011年8月)』在グアテマラ日本国大使館https://www.gt.emb-japan.go.jp/seiji-keizai.pdf/Politica11.08.pdf 
  14. ^ グアテマラ内政・外交(2009年5月)』在グアテマラ日本国大使館https://www.gt.emb-japan.go.jp/images/politica09.05.pdf 
  15. ^ グアテマラ月報(2018 年 2 月)』在グアテマラ日本国大使館https://www.gt.emb-japan.go.jp/Politica_Economia201802.pdf 
  16. ^ “アルバロ・コロン氏死去 元グアテマラ大統領”. 時事通信. (2023年1月24日). https://www.jiji.com/jc/article?k=2023012400697 2023年1月24日閲覧。 
先代
オスカル・ベルシェ
グアテマラ共和国大統領
2008年 - 2012年
次代
オットー・ペレス・モリーナ